不倫しない方法というタイトルにしましたが、不倫するかしないかというのは「理性が働くかどうか」ということになると思います。不倫の定義みたいのものとして「肉体関係」があるかどうかというのが大きいということを考慮してもこの「理性」というもの以外に表現のしようがないと思います。
「まあ一回くらいいいだろう」とか思うタイプの人はその時点でアウト!ですね。
いろんな考え方があるかと思いますが、この一回が麻薬のように脳に刺激を与えて支配されるのではないかと思います。だからしっかり理性を保って、倫理的に論理的に物事を考えればストップがかかるはずだろうと思います。
僕の場合は連絡が取れるようになってから理性がどこかに吹き飛んでいました。
好きだ!っていう気持ちがどんどん先行してしまっていましたし、それは再会したときには肉体関係が無くとも「不倫」「浮気」のようなものだったと思います。
再会し彼女を抱いたというのは紛れも無い事実ですから、現在進行形のW不倫ということになります。こうならない方法というのは元に戻りますが「理性」を働かせる以外に無いのか?また、理性以外に不倫をとめる方法は無いのか?
僕にも答えはありません。
ただ、少なくとも僕の場合は夫婦関係が冷え切っていたというのもあります。結婚した事への後悔もたくさんしましたし、本気で「離婚しよう」と何度も思ったことがあります。その度に子供のことやその他諸々を考え思いとどまった。そういう暮らしの中で彼女の出現は一筋の光のようにさえ感じたのです。
そして
今現在、表現としては「W不倫」という状況の中ですし、当然家族はその不倫については「知らない」だろうと思いますが、以前よりは夫婦関係は良好になっています。皮肉なものかもしれません。
逆説的に考えると、よい夫婦関係というのは不倫しない方法の一つになり得るだろうと思います。

にほんブログ村

不倫・婚外恋愛 ブログランキングへ
暖かくなってきましたね。
ほっとします。桜が楽しみです。
不倫しない、よい夫婦
不倫があって、よい夫婦
円満の秘訣って何なんでしょうね。。
対話していくことは大切かなぁとは思います。自分とも相手とも。いい距離感でいられたらいいんですけどね。
彼女さんのこと、変わらず、一筋の光、ですか??新しい職場、いいところだといいですね!
こんばんは。夜遅くにすみません。
少し意地悪な質問してもいいですか?
もしふみおさんの結婚生活がとても幸せな状態で奥様とレスではなく良好な仲であったとして、
そんな中での彼女さんとの再会だったとしたら、ふみおさんはどうされていたでしょうか?
かつて大好きだった彼女さんとの再会だけに聞いてみたくなりました。
たられば話でごめんなさい。
お気に障るようでしたらスルーしてくださいね。
好きだから 抱かれたかった。
単純に そうでした。
不倫とか 欲望とか まあ それが
欲望なのかもしれませんが
正直だったと思います。
身勝手でしょうが‥
を何度も考え行動に一部移した事も。
経済力の無さ、子供の環境変化、色々考えあぐねた結果今、留まっている現状です。
家族の形は変化して行くので、そこを見極めて私自身の幸せを一番に優先し離婚をと決めたいと思います。
家族のために、と頑張ってきた事は、自分を偽ってきた事でした。それでいいと思っていたけれど、知らず知らずに無理をしていたことにやっと気づいて。
自分の人生を生きなくては。
その先に彼との生活があるのかは、わかりません。
まだまだ、自分の幸せとは?を探し中です。
40にして迷わず⁉。
私はまだまだ迷っております💦。
自分の人生を生きなくては。
程度の差こそあれ、子育てを頑張ってきた女性なら、こういう思いは持っていますよね。
でも、それに今気づかれたことは、本当によかったですね。
ただ、ここで、ご自分の幸せを彼さんに求めるとしたら、また同じことの繰り返しだと思います。
やはり、自分の幸せは、誰にもよらない、自分自身で掴むものかと。
ありがとうとうございます。
静かで力強い激励。
自分の幸せは誰にもよらない、、、ですね。
せんさんの書かれたコメントが,私自身が書いたのかと…思ったくらい同じ思いで読ませていただきました。
少し違うのはこの部分
>家族のために、と頑張ってきた事は、自分を偽ってきた事でした。
その時その時に家族を大事に頑張ってきた事は、偽りではなくその時にそれが一番と思えるベストの選択でした。
せんさんも きっと同じではないでしょうか…
そして今、これからは自分自身の幸せのために、自分を大事にして生きていく!と私も気づきました。
子育ての終わりがきたら、夫と暮らす選択はありません。離婚に向かって準備していきます!
ありがとうございます。
偽りでなくその時のベストの選択、、、。
仰る通りです。
私は自分のキャパを超えていることにすら、気付いていなかったのです。
同じ思いでおられる方とこんな風に繋がることが出来て心強いし、
ふみおさんのこのブログに改めて感謝いたします。
子育ての終わりがきたら、夫と暮らす選択はありません。離婚に向かって準備していきます!
私もそっくり同じように思ってきました。
ですが、自分自身の行動を振り返った時、子育てなどに夢中になるあまり、夫の気持ちを蔑ろにしてこなかっただろうか?と反省しました。
夫側からすれば、たしかに子育てを満足にしてくれる奥さんは有難いでしょうが、それと同時に夫個人についても満足感が欲しいと思ってしまうのではないか、そう思いました。
それからは、なるべく夫を一番にしたり、小さなことでも感謝を示したり、レスも自分から言って解消したりしていったら、すっかり夫は人が変わったようになり、家事子育てに協力的になりました。
自分にだってイマイチな面がたくさんあるのだから、何も夫ばかり否定することはできないよなあ、と最近は離婚するとかはあまり考えなくなりました。
と同時に、婚外恋愛の相手も冷静に見つめることができ、そもそも婚外恋愛しようとする人(男も女も、もちろん自分も)にロクな人間はいないんじゃないかなぁとさえ思うようになりました。
長くなりましたが、私の体験です。
子供が成長した今、家族といってもそれぞれが個々に自律した関係でいること、それが私の理想です。
そのような関係で円満であることが、今の私の支えになっていると感じています。
恋愛感情とも違うし、子どもへの愛情とも違っていても、夫に対する愛情も確かにあります。
そう思うと、本当に身勝手な自分を痛感してしまいます…。
夫婦仲がとても良好なときに彼女と再会していたとしたら・・・確かに「たられば」ですので空想になりますが、、、
それでもきっと彼女さえOKなら理性は吹き飛んでいたでしょうね 笑
ただそういう場合だと、彼女と早く終わらせるか、嫁と離婚へ進むか、どちらかになっていたような気がします。
主人とのことの質問ですが、全く嫌ではありません。私がおかしいのかもしれませんが、主人のことは今でも一番だと思いますし、なんで浮気できてるのかもわかりません…ただ浮気相手にちやほやされるのが嬉しいのかもしれませんし、ストレスフルな相手の役に立ちたいと思っているのかもしれません。やはり、1人の女性として求められるのことによって満たされているというか、優越感に浸ってるのかもしれません。少なからず自分は冷静な所もまだあると自負しているので、客観的に見るとすごく冷めてしまうのですが、やはり結婚して、歳もとった自分を情熱的に求めてくれるというのは、嬉しいと思ってしまうバカな私がいます。
やっぱり、確実に自分に気があると思えないと、どんなに好きな気持ちがあっても越えられないと思っちゃうものでしょうか?
>自分自身の行動を振り返った時、子育てなどに夢中になるあまり、夫の気持ちを蔑ろにしてこなかっただろうか?と反省しました。
私はこのようには思いません。
同居する姑もいたため、子供を中心に子育てをしながら、価値観の違う夫をたて、子供の意見を聞いているようで…いつも夫に合わせてきました。良い嫁・良い妻・良い母でいなければならないと強く思い込んでいました。
同居する姑が離れ、子供も成長し手がかからなくなった時、いつまでも変わらず自分を中心にして欲しく、的外れなことを言ってくる夫に対して嫌悪感を持つ自分に気づきました。家事の協力は一切ありません。
手の掛かる子供への育児に対する協力もありませんでした。
子供に手がかからなくなった今、これまでは家族のためにと自分を見失い家族に尽くしてきましたが、自分の好きなこと やりたいことを取り戻し、夫に振り回されないように自分の時間を大事にするようにしています。
子供が学生を終えて自立をする頃には、自分だけの人生を考えて生きていきたいと思っています。
やっぱり、確実に自分に気があると思えないと、どんなに好きな気持ちがあっても越えられないと思っちゃうものでしょうか?
そうですねえ、子供の頃の恋愛とは少し違うと僕は思いますので、全く脈なしの場合はそのままです。彼女の場合でも同じく、もしもそういう雰囲気がゼロならば再会してもご飯食べて終わりになっていたでしょう。
ただ、私は「家」に縛られて子どもに「家」の負担をかけたくないので、そこをクリアできたら家を出るかもしれませんが、全く不明です。
お互い、これから自分の人生を送って行きたいですね。
昨日の せんさんのお言葉に「同じ思いでおられる方とこんな風に繋がることが出来て心強いし…」と書かれていましたが、私もそう思います。
私も正直なところ引っかかるのは子供です。
成長して自立したとしても、「家」から離れていなければ、私がいつまでも親業「炊事洗濯」をしてあげなくてはならないのか…
と思うところがあります。
これも自分の思い込みだと思いますので手放す時が来たら手放し、家を出たいと思います。
一番側であなたを見てきているのだから、あなたの変化くらい簡単に見抜いてますよ。
それでも何も言わないのは、離婚するという選択肢は自分にとってプラスでない状況なのでしょう。
亭主は嫌いだけど、離婚はできない。
だったら何も気がつかないフリをするしかない。
女はバカではないです
私もそう思うんだよね。
一般的にも女性は鋭いってね。
でも、全く気付かない人もいますよ。
配偶者に関心がないんじゃないかな。
それと女性は結婚を絶対視しすぎ!
「家」に縛られるというのは親戚付き合いって事を指してます。
炊事洗濯の家事は子どもたちに任せて仕事に出ているのですが、冠婚葬祭など、「家」の付き合いって田舎ではなかなか切れないですよね。
そこをどうするか…
夫とは歳が離れているので、遺された者が引き継ぐ事になると思うのです。それを放って私だけ家を出られないと考えてます。
お仏壇やお墓をどうするか、近親者に理解を求めないと。
子どもたちが困らないように整理出来たら、家を出る事もあるかもしれないし、出たいと思った時には、きちんと整理して出たいと思ってます。
そうでしたか…。
私よりも抱える問題が大きい方が、同じような思いで自分の人生を考えておられることに、力をもらいました。
>お互い、これから自分の人生を送って行きたいですね。
本当にそうですね。
ありがとうございます!
同居は夫以外の人間関係も絡んでくるので、ストレスは半端ないですよね。苦労した分、残りの人生を自分らしく生きて行きたいと思います。
それが不倫をしても良いという理由にはなりませんが、荒んでいた私の心に光を差してくれた人に出逢えて助けられました。
本当は、それが夫であるのが一番なのですが。
「匿名さん」さん
ご主人との関係が‘修復されて良かったですね。そうなるのが一番です。ご自分の非を認めて関係を改善された「匿名さん」は素晴らしいと思います。
私はレスは夫からなので、夫が言ってこない限り解消はできませんでした。不倫する前は完全に女を捨てていたのを彼が拾ってくれたみたいなものです。
同居していると、夫や舅さんを立てるのは当たり前で、嫁は家政婦と同じです。中には出来た義父母で嫁でも娘の様にしてくれる人はいるだろうけど、嫁ぎ先は昔ながらの考え方の家でした。
そんな中でも、夫に愛されるように自分を変えられなかったのかと、「匿名さん」のコメントを読んで反省してみました。が、夫とやり直すという気持ちにはなれませんでした。
「匿名さん」はご主人と幸せになられるといいですね。
自分にも非がないかと振り返って見ることを気付かせていただき、ありがとうございました。
同居は夫以外の人間関係も絡んでくるので、ストレスは半端ないですよね。苦労した分、残りの人生を自分らしく生きて行きたいと思います。
それが不倫をしても良いという理由にはなりませんが、荒んでいた私の心に光を差してくれた人に出逢えて助けられました。
本当は、それが夫であるのが一番なのですが。
「匿名さん」さん
ご主人との関係が‘修復されて良かったですね。そうなるのが一番です。ご自分の非を認めて関係を改善された「匿名さん」は素晴らしいと思います。
私はレスは夫からなので、夫が言ってこない限り解消はできませんでした。不倫する前は完全に女を捨てていたのを彼が拾ってくれたみたいなものです。
同居していると、夫や舅さんを立てるのは当たり前で、嫁は家政婦と同じです。中には出来た義父母で嫁でも娘の様にしてくれる人はいるだろうけど、嫁ぎ先は昔ながらの考え方の家でした。
そんな中でも、夫に愛されるように自分を変えられなかったのかと、「匿名さん」のコメントを読んで反省してみました。が、夫とやり直すという気持ちにはなれませんでした。
「匿名さん」はご主人と幸せになられるといいですね。
自分にも非がないかと振り返って見ることを気付かせていただき、ありがとうございました。
誰もみんな、きっとその時その時できる最善を頑張っていたと思いますから。
まして、ご主人以外の大人が介在するとなると、事情は複雑になりますしね。
一生懸命頑張ってこられたのでしょう?
だから、非ではないと思うのです。
そして、『自分を変えられなかったから愛されなかった』とありますが、私はむしろ逆に、ご同居なさったりする中で、変わってしまわれたのでは?と考えますが、いかがでしょうか?(それだって仕方のないことですよ。環境や事情によってそうせざるを得なかったということ)
しかも、案外、夫側には、実は愛があったりするんですよね。ただ、それが、妻側からすると、到底、愛に見えないものだったり、色々な利害関係など絡んで愛を表現できなくなったりというように、互いの愛の表現方法が違うだけで……(だから、そこが問題なんだってことですけども)
そもそも論で、自分が愛せないと思う相手に、いくら愛されてもなあ、というのはありますが、それをさておき、『愛される』という点のみに焦点を置くならば、実際のところ、耳当たりの良い『愛のようなもの』を手軽にくれる不倫相手と、こちらには上手に伝えられないが、あちらなりの『愛のようなもの』を持っているかもしれない夫とでは、真の愛は、どちらが深いかわからないよな〜って思ったりします。(もちろん当てはまらないケースも多々あるというのはわかります)
そして、だいたい、自分自身だって、愛を持ってるのか?日常の中で(不倫という一種ドラマチックな非日常ではなくて)愛を表現できているのか?って考えてしまう今日この頃ではあります。
長くなりましたが、どうぞご自分を否定なさらないでくださいね、というのがお伝えしたかったことです。
コメントいただき、ありがとうございます。
自分を変えられなかったというのは、恋愛結婚で、夢いっぱいで嫁いだのに、年を重ねて変わってしまった自分をもう一度変えられないかと思ったけど、変えられなかったということです。
何度も夫にはショックを与えられ、気持ちが立ち直るだけのフォローもなかったので、どんどん引いていきました。
文句も言えずひたすら耐えるだけでした。あの頃、私の気持ちを押し込まず、きちんと話していたら少しは違う今があるのかもしれませんが。
今の夫からは愛は感じられません。もちろん、私が愛してないのも夫は感じていることでしょう。だから私が愛せば夫も愛してくれるかもしれませんが。。。
全てはたらればの話になってますね。
ただ夫を愛せなくなってしまった自分が悪いのは明らかです。
考えるヒントを教えていただき、ありがとうございました。
私は性格的に無理で、そんな自分をダメだなと思う事が多々あるのですが、夫からの歩み寄りがあっても素直に受けとめられません。
夫が信じられません。
夫の愛って何なのでしょう?
皆様の深いお話に、心が震えます。ありがとうございます。